「沈潜する」

こんにちは!高針台中学校前校の南です。新年度が始まりました!この時期は気候的にも過ごしやすく、そよ風が心地よいですね。私は個人的には春が好きです。厳しい冬の寒さを忍び今か今かと暖かい季節を心待ちにしていた動植物たちが一斉に活動を始めます。鳥のさえずり、色鮮やかな花々、若草の香り…。春は五感のすべてで生命のエネルギーを受け取っている気がして、なにか自分自身も元気が出る気がします。また、教室の窓を開けていると、ぴかぴかの制服に身を包んだ新入生が友達とおしゃべりしながら楽しそうに下校する声が聞こえてきて、こちらまで明るい気持ちになります。

私は、今まで生きてきた中で新しい環境での生活が始まるとき「さあ、がんばるぞ!」と右も左もわからないのになぜだか上手くやっていけるような自信だけは持っていたことを思い出しました。生徒のみなさんも自分が入学した時のことを一度思い出してみてください。当時のあなたは今の自分より技術や能力は当たり前ですが劣っていることでしょう。では情熱はどうですか?勉強に部活に、色々なことに挑戦したい!という気持ちは昔と比べて薄れていませんか?でもそれは仕方がないことです。色んな失敗や小さな挫折を経験するたびに自信が少しずつ薄れていき、自分でも気づかないうちに高い目標に向かって頑張るということをしなくなってしまうのですね。だからこそ重要なのは意識をすることです。入学当時の自分を思い出して、当時自分が心に持っていた情熱を呼び覚ますのです。この年度替わりの4月は自分を変えるキッカケにするには最良の時期です。この1年をチャレンジの年にするために、まずは自分自身の気持ちを高めていきましょう。

さて、今回はひとつ「沈潜する」という言葉を紹介したいと思います。水底に沈んで隠れるという意味もあるのですが、実はもうひとつ「心を落ち着けて深く考える、物事に没頭する」という意味があります。また、昔の話ですが旧制高校の学生は「自己研鑽する・自分を磨くこと」という意味で使っていたそうです。

情報が右から左へと絶え間なく流れているこの時代において、私たちは「沈潜する」時間をどれだけとれているでしょうか。スマホ一台で何でもできるようになり、今やスマホなしでの生活など考えられないような時代になりましたが、その代償として私たちは深く考える時間を捨ててしまっているのではないでしょうか。深く考えるということは自分自身の内面を見つめるということです。外界からの刺激を遮断して、じっと自分と向き合うことで新たな発見があったりするものです。誰しも自分のことは意外とよくわからないものですよね。

深く考える時間を作るのにもっとも良いのは読書だと思います。本には時代を超えて人間の経験や知識が集約されています。そういったものに触れることで自分の中の考え方や想いに気づくこともできますし、また新たな価値観を作り上げていくこともできます。特に生徒のみなさんは進路のことで悩むことも多いと思います。自分はどうなりたいのか、なにがしたいのか…。すぐに答えを出すのは難しいと思いますが、色々な本を読み先人の考え方に触れることで、先の見えない将来のことに対して少しでも自分なりの道を見出すことができるのではないでしょうか。

「わからないこと」が分からない

みなさんこんにちは!匠ゼミナールの平野です。4月にはいり新学年がスタートしました。クラス替えがあった人もいるでしょうし、進学や進級にともなって大きな環境の変化があった人もいるかもしれません。気持ち新たに、新学年をスタートさせましょう!

さて、みなさんは勉強に対して「『わからないこと』が分からない」という経験はありませんか?「なにが分からないか分からない」とか「何て質問したらいいか分からない」と表現したほうが分かりやすいかも知れませんね。こういう場合には自分が何につまずき、どこが理解できていないのか明確に把握することを最優先にしなければなりません。同じ問題でも、理解できていないことによって確認すべきことが大きく変わるからです。

例えば、英文法の問題で分からないことがあったとしましょう。もし皆さんだったらどういう風に質問しますか?ある生徒は「解説には○○と書いてあるが、私は問題を解いているときに△△だからこの選択肢が答えだと思った。なぜ△△は答えにならないのか分からない。」と言います。このような質問は、理解できないところが本人もはっきり分かっています。しかし、ある生徒は「この問題が分からない」とか「この問題の解説が分からない」など…こういう場合には、何が分からないかハッキリするまで、質問をすることになります。こちらから質問したりせず、分かりやすい解説をすることは当然出来るのですが、次のような問題が生じます。第一に、分かっていないことを正確に把握せずに質問してしまうと教える側の説明が的外れになってしまい、ピンポイントに疑問を解消できなくなってしまうこと。第二に、(こちらの方が重大なのですが)自分が解説を聞いて、もしくは見て、誤りがなぜ間違っているのかを理解しないまま「分かった」ように感じてしまうこと。このような状態では、中途半端な理解のせいで生徒が成長する機会を失ってしまいます。一方、そこでしっかり考え抜くことが出来れば、目の前の一つの問題が分かるようになるだけではなく、その問題の持つ本質を理解し他の問題になってもその知識を駆使することが出来るようになるはずです。

こういった経験を通して、皆さんには分からないことを聞くときに考えてほしいことがあります。自分が「分からない」と感じていることが何なのか、「知らない」「覚えていない」ことなのか、それとも「まだ理解できていない」なのかということです。学ぶということはただ知識をつけていくことでも、テストで良い点数をとることだけではありません。自分の現状をしっかりと見極めそれに対処する方法を学ぶ、そして最も大切なことは、その過程を自分の頭で考え解決していくことです。それができるようになれば、結果として点数もついてくるでしょう。点数だけ追いかけて本質的なことをないがしろにしてはいけません。分からないということは、伸びしろであり本当に素晴らしいことです。分からないことから全ての学びは始まります。皆さんも、もっとわくわくした気持ちで自分が何がわからないのか、言い換えれば、何が理解できるようになるのか考えてみてください。