本当のリア充とは

こんにちは!高針台中学校前校の南です。今年はこの時期になっても例年と比べて暑い日が続いているように感じますが(僕が暑がりだからでしょうか??)、自然の様子は少しずつ秋めいてきましたね。道端に落ちた熟れた銀杏の実を見ると、僕は今でも高校生の頃を思い出します。高校の頃は部活動でイチョウについての研究をしていました。ですので当時は9月になると、木から落ちる間際のイチョウの実を何百と採取し、それを毎日一つづつ切って中身を顕微鏡で観察していたものです。今でもイチョウの実から観察用のプレパラートを作成するスピードは日本一だと思っています。(笑)

そんな学生の頃には「リア充」という言葉が流行っていました。誰々はリア充で、俺は非リア充だ!みたいなそんな話をずっとしていた記憶があります。元々この言葉が流行した時は、「リア充」=「現実の生活が充実している」=「友達と遊んで、毎日楽しい生活を送っている」というような意味合いで使われていたと思います。それで僕も学生の頃は、運動部のように華も無い、小さな規模の部活で日々イチョウ相手ににらめっこをしていたものですから、半分自虐的に「自分は全然リア充じゃないなぁ」なんて思っていたわけです。

しかし、大人になって思い返してみると、決して華のある学生生活では無かったですが、良い時間を過ごしていたなと感じることが多いです。つまり、あの頃は本当はめちゃくちゃ充実していたのだなと。それはどうしてかというと、毎日毎日顕微鏡をのぞく生活の先には大きな目標があったからなんですね。運動部に全中やインターハイがあるように、文化部にも全国規模のコンテストがあります。特に科学の分野でいうと、日本学生科学賞という歴史あるコンクールがあり、科学系の部活で活動する学生にとっては最高の晴れ舞台です。高校生の僕にはその名誉あるコンクールに自分たちの研究成果を発表して賞を取りたい!という大きな夢があったのです。

僕が何を言いたいのかというと、日々の生活の充実というのは「何のために自分の時間を費やしているのか」ということが重要だということです。目的・目標があって、そしてそれに向かって自分の時間を使うことほど充実した日々はないでしょう。充実した日々というのは幸せです。生徒のみなさんの中には「勉強=嫌なもの」という方程式が出来上がっている人もいるかもしれませんね。しかし、そうではなく、目標があって、それに向けて自分の時間を使って努力を重ねるということ自体が、実は本当に幸せなことなんだと感じて欲しいなと思っています。費やした時間の価値を決めるのは結果ではなく過程です。たとえうまくいかなかったとしても、何度でもチャレンジすればいいだけのこと。一番もったいないのはチャレンジをしない日々を過ごすことではないでしょうか。

ちなみに、高校の頃の僕は結局大きな賞をいただくことはできませんでした。ライバルチームの研究が表彰されるのを間近で見て悔しい思いをしたことは今でも忘れません。しかし、当時大きな目標に向かって一生懸命になっていた思い出は僕の支えになっています。そのおかげで受験も乗り越えられたと思っています。志望校合格という目標に向かって、やろうと思えば自分のあらゆる時間を勉強だけに費やすことができるのは学生のうちだけでしょう。生徒のみなさんにはぜひそういう貴重な時期に、目標に向けて全力で努力をするという経験をしてほしいなと思います。