「わからないこと」が分からない

みなさんこんにちは!匠ゼミナールの平野です。4月にはいり新学年がスタートしました。クラス替えがあった人もいるでしょうし、進学や進級にともなって大きな環境の変化があった人もいるかもしれません。気持ち新たに、新学年をスタートさせましょう!

さて、みなさんは勉強に対して「『わからないこと』が分からない」という経験はありませんか?「なにが分からないか分からない」とか「何て質問したらいいか分からない」と表現したほうが分かりやすいかも知れませんね。こういう場合には自分が何につまずき、どこが理解できていないのか明確に把握することを最優先にしなければなりません。同じ問題でも、理解できていないことによって確認すべきことが大きく変わるからです。

例えば、英文法の問題で分からないことがあったとしましょう。もし皆さんだったらどういう風に質問しますか?ある生徒は「解説には○○と書いてあるが、私は問題を解いているときに△△だからこの選択肢が答えだと思った。なぜ△△は答えにならないのか分からない。」と言います。このような質問は、理解できないところが本人もはっきり分かっています。しかし、ある生徒は「この問題が分からない」とか「この問題の解説が分からない」など…こういう場合には、何が分からないかハッキリするまで、質問をすることになります。こちらから質問したりせず、分かりやすい解説をすることは当然出来るのですが、次のような問題が生じます。第一に、分かっていないことを正確に把握せずに質問してしまうと教える側の説明が的外れになってしまい、ピンポイントに疑問を解消できなくなってしまうこと。第二に、(こちらの方が重大なのですが)自分が解説を聞いて、もしくは見て、誤りがなぜ間違っているのかを理解しないまま「分かった」ように感じてしまうこと。このような状態では、中途半端な理解のせいで生徒が成長する機会を失ってしまいます。一方、そこでしっかり考え抜くことが出来れば、目の前の一つの問題が分かるようになるだけではなく、その問題の持つ本質を理解し他の問題になってもその知識を駆使することが出来るようになるはずです。

こういった経験を通して、皆さんには分からないことを聞くときに考えてほしいことがあります。自分が「分からない」と感じていることが何なのか、「知らない」「覚えていない」ことなのか、それとも「まだ理解できていない」なのかということです。学ぶということはただ知識をつけていくことでも、テストで良い点数をとることだけではありません。自分の現状をしっかりと見極めそれに対処する方法を学ぶ、そして最も大切なことは、その過程を自分の頭で考え解決していくことです。それができるようになれば、結果として点数もついてくるでしょう。点数だけ追いかけて本質的なことをないがしろにしてはいけません。分からないということは、伸びしろであり本当に素晴らしいことです。分からないことから全ての学びは始まります。皆さんも、もっとわくわくした気持ちで自分が何がわからないのか、言い換えれば、何が理解できるようになるのか考えてみてください。